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歴史で見るヤマトインテック

創業430余年、いつの時代も鋳物と共に・・・

【4つの転換期】1:創成期〜近代 信濃国の「鋳物師」多岐にわたる生産

鋳造責任者 中澤龍馬氏

天正12年(1584年)、松本領主小笠原貞慶が、相模国鎌倉郡由比より初代濱伊右衛門清賢を松本に招き、松本城近くで創業。信濃国の武具や仏具などを製造する「勅許御鋳物師(いもじ)」として、その後、当時の日本の鋳物界を掌握する真継家と結び付き、受領の「石見掾」が与えられて相談役となる。

1960年代まで旧社屋があった松本市飯田町は小笠原氏が慶長18年(1613年)飯田から移封されて松本に戻った際に連れてきた鋳物師や鍋屋、石屋などの職人が多く住み着いたといわれる。

坂上田村麿呂公の木型

その後、塩尻市片丘の牛伏寺の鐘(清綱作)や現在も弊社玄関入口に木型が残る安曇野市三郷の住吉神社「坂上田村麿呂公像(年代不祥)」(八面大王を退治した故事に由来し、現物は太平洋戦争時に供出)など、松本近隣の神社仏閣の鐘や銅像等を多数手掛ける。明治以降は農機具、生活必需品、製糸機械、軍需品などを生産してきた。

松本商工会議所が表彰した創業100年以上の老舗企業の中では天正3年(1575年)創業の尾張屋染物本店に次いで2番目に長い。

昭和11年(西暦1936年)
合資会社濱鉄工所
昭和21年(西暦1946年)
合資会社大和製作所
昭和28年(西暦1953年)
株式会社大和製作所が誕生。戦後のモータリゼーションの流れを受け、オートバイやトラクター用のブレーキドラム等を中心に製造。
昭和37年(西暦1962年)
塩尻市広丘へ移転。この頃、小型トラック用の排気管からエキゾーストマニホールドの製造始まる。

【4つの転換期】2:第一次転換期 Vプロセス実用化 エクステリアを主軸に

V プロ自動造形ライン

昭和46年(1971年)、長野県工業試験場が「Vプロセス造型法」(バキューム・シール・モールドプロセス)の開発に成功し、これがのちに世界特許となる。弊社も共同開発の立場で導入し、大型アルミ製品の鋳造が可能となった。しかし未開発の市場、試作機ゆえの不良の続出などにより苦戦を強いられる。

昭和52年(1977年)、Vプロセス開発において、当時国内で誉れ高かった「大河内記念技術賞」を受賞した。ここからエクステリア市場の拡大およびバブル期の高級志向の波に乗り、エクステリア製品で大きく業績を伸ばし、これが弊社の主力事業となった。

昭和56年(1981年)、Vプロセス最速造型ラインを設備投資して設置。Vプロセスによるエクステリア全盛の時代の先取りを考えた強行設置だが、結果的にこれが先を見据えたハイパワー設備となった。

昭和40年代末頃の工場全景
大河内記念技術賞状
当時主力だったエクステリア製品

【4つの転換期】3:第二次転換期 バブル崩壊 ターボチャージャー特化へ

APK造型ライン

平成初期からバブル崩壊と、それに伴うエクステリア市場の頭打ちによって業績が悪化。平成元年(1989年)、当時衰退の一途をたどる鋳鉄部門の再興を目指し、APKライン計画に着手して、膨大な投資を行う。

平成3年(1991年)、株式会社大和製作所から株式会社ヤマトインテックへ改称し、平成5年(1993年)にAPKライン完成。

平成9年(1997年)には多額の先行投資とリース返済などにより方針転換を迫られる状態となった。

しかし平成11年(1999年)、弊社の得意分野を見直し、かつての主力製品だったエキゾーストマニホールドや新たな挑戦部品としてのターボチャージャー部品への特化を決定。これにより業績回復を果たした。

ターボチャージャー
APK注湯ライン

【4つの転換期】4:第三次転換期 多品種・少量・多材質への対応

現在の主力製品

平成19年(2007年)、昭和56年(1981年)に設置した3t-2200kwの高周波誘導炉の電源リニューアルと能力アップのため世界初の電源システムの採用に取り組んだ。試行錯誤の末、平成20年5月に完成。環境対策が進むディーゼルエンジンのターボチャージャー部品で、一時は弊社が世界シェアの10%を占めるまで成長した。

鋳造だけでなく「加工一貫」が求められる時代ゆえ、加工設備の強化を図りつつ、多品種・少量・多材質の強みを備えてニーズに即応した。

【4つの転換期】5:第四次転換期 海外を視野に入れ 未来をつかむ

ヤマトインテックフィリピン工場のメンバー

平成23年-24年(2011年-2012年)、ドイツよりバラシ品のピックアップ用マニピュレータと砂搬送用のダブルベルトコンベアを導入。平成25年(2013年)にはフィリピンに工場レンタル、生産設備を移設してベアリングハウジング製造工程の一部委託操業をスタートさせた。

平成29年(2017年)にはフィリピンに合弁会社YNPCを設立し、同時に生産設備を増設。令和2年(2020年)、独立資本の子会社となった。それと同時に中国市場との連携も視野に入れ、グローバルな複合的な鋳造メーカーとして新たなステージをにらむ。